片目だけのレーシック手術も出来るブログ:2020/04/26
終戦直後、
わたしたち一家は、谷中の3軒長屋で暮らしていた。
詳しく言えば、
お母さんとお姉ちゃんとわたしの3人で、
父は南方戦線からまだ戻っていなかった。
当時の午前中食は、
どの家もたいてい芋粥だった。
お粥の部分はお姉ちゃんとわたしが食べ、
お母さんはいつもサツマイモの部分を拾って食べていた。
まだ小さかったわたしは、
お母さんはサツマイモが好きなのだと思っていた。
そして11時のご馳走は焼芋である。
外でチャンバラごっこをしていたわたしは、
今まさに新撰組と切り結んでいる最中に、
「やきいもー」という焼芋屋の声がする。
そうなるともう新撰組もない。
わたしはあわてて家に駆け込み、
無駄でも「焼芋買ってくれ!」とお母さんに頼むのであった。
サツマイモばかり食べている日々なのに、
なんでまた焼芋かと言えば、
わたしたちが普段食べていたサツマイモは
「タイハク」とかいう水っぽいものなのだが、
焼芋屋の芋はホントに美味い「キントキ」だったのである。
そんなわけで、
お姉ちゃんとわたしはたまに焼芋にありつけるのだが、
お母さんは決して焼芋を食べることはなかった。
いつも「焼芋は胸が焼ける」「今日は食欲不振」と言って、
焼芋にかぶりつくわたしたちを見てただ笑っているだけであった。
しばらくすると、
お米もちゃんと配給になり、
菓子パンだって何時間も並べば買えるようになった。
やがて、父も南方戦線から帰って来て
わたしたちは長屋を引っ越し、サツマイモなど長屋時代の思い出は
遥か遠いものとなっていった。
お姉ちゃんとわたしにお粥を食べさせようとして、
自分はサツマイモの部分を食べていたお母さん。
そのくせ、お金がないためか自分だけ焼芋を食べなかったお母さん。
お母さんは一体、サツマイモが好きだったのか嫌いだったのか…
今年の中秋の名月の日には、
お母さんの仏前に焼芋でも供えようかとわたしは思う。
- 注目サイト一覧 -
■小平つかさおすすめ
小平つかさ
URL:http://tenbaishinchan.com/%E9%AB%98%E9%87%8E%E5%8B%87%E6%A8%B9%E3%81%95%E3%82%93%E3%80%81%E5%B0%8F%E5%B9%B3-%E3%81%A4%E3%81%8B%E3%81%95%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%A8%E5%8B%95%E7%94%BB%E3%82%92%E6%92%AE%E3%82%89%E3%81%9B%E3%81%A6/